阿修羅の魅力-阿修羅の正義

阿修羅の正義
HOME > 阿修羅の正義

阿修羅の正義

阿修羅の正義とは

インド神話の中に、アシュラとインドラという神様がいます。

アシュラは正義の神で、インドラは力の神です。

アシュラには舎脂(シャーチー)という娘美しい娘がいました。

あるとき、アシュラの娘を見て気に入ったインドラは力でもって彼女を無理やり自分の宮殿に連れ去っってしまいました。

父親のアシュラは当然怒ります。
そして、武器をとってインドラに挑みます。しかし、インドラは力の神です。
正義の神であるアシュラが、力の神に勝てる訳がなく、戦いはアシュラの敗北に終わります。

それでも、娘を奪われたアシュラの怒りは烈しく、なおもアシュラはインドラに戦いを挑むのです。

戦いは何度繰り返しても、アシュラは負け続けます。にもかかわらず、アシュラは執拗に戦闘を繰り返します。

その結果、面倒になったインドラは、ついに正義の神のアシュラを神々の世界である天界から追放してしまったのです。

「阿修羅」はインドヒンドゥーの『太陽神』もしくは『火の神』と表記しています。
インドラは、 帝釈天と呼ばれています。

このアシュラ(阿修羅)とインドラ(帝釈天)戦いの場を修羅場(しゅらば)と呼ぶそうです。


日本語では、争いの耐えない状況を修羅道に例えて修羅場(しゅらば)と呼ぶ場合もあります。

激しい闘争の行われている場所、あるいはそのような場所を連想させる状況を指しています。

(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

阿修羅

仏教はこの神話にもとずいて、敗北者のアシュラを「阿修羅」または「修羅」と呼んで魔神にし、勝利者のインドラを「帝釈天」と呼んで護法の神にしました。

すなわち、正義の神を魔類にし、力の神を護法の神としました。
それが仏教のとらえ方です。


この結末に納得できない人が多いと思います。
父親として娘を暴力でとられたアシュラが怒るのも当然のことですよね。

しかしながら、帝釈天の行動はほめられたものではありませんが、過去の出来事をいつまでも根に持って、みずからの「正義」にこだわりつづけている阿修羅の心の狭さの方がもっとよくない、仏教ではそう考えるているのだそうです。

さらに暴力で帝釈天の女とされた阿修羅の娘は、実は幸福な帝釈天の妃になっているのです。
にもかかわらずこだわりつづけるのは、魔類の正義「阿修羅」に他なりません。

帝釈天のエピソードの中にこんな話もあります。
珍しく負け戦で、逃げていく帝釈天の軍勢の行く手に、道の上を何万匹ものアリが歩いていました。

それを見て、そのアリを助けるために、帝釈天は軍勢を再び元の逃げてきた方に引き返させているのです。
【アリではなくガル-ダ(霊鳥)が巣を守っていたという説もあります】

逃げている軍隊がとって返すなど普通はありえない行為でよね。
それができるのは、帝釈天は力の神であって、弱いものに対する同情心、あわれみの心があるからだというのです。

おそらく正義の神である阿修羅には、それができかったのでしょう。
正義のためには、少しぐらいの犠牲はやむを得ない、そう考えるのが正義の特色です。
ですから、正義にこだわり、自らの正義ばかりを主張しつづけて相手の立場を考えない、

そんな正義は魔類の正義となります。

仏教はそんな思いやりのない「正義」にこだわるなと教えているのだそうです。

なかなか深いものがあります。

阿修羅にまつわる神話

阿修羅にまつわる神話

様々な神話の中の阿修羅。

この阿修羅ですが、どういう存在なのか、宗教というものは、なかなか起源がはっきりしていません。
阿修羅についてもここが起源だとは言い切れないのですが、明確なのは、インド神話です。

ヴェーダ文献の中に、インド神話が書かれており、神には二つの系統があると記載されているそうです。

それがデーヴァ神族とアスラ神族です。
デーヴァ神族の代表がインドラです。
アスラ神族の代表がヴァルナです。

一方、イラン神話というものがあります。
インド神話もイラン神話も、源流は同じです。

源流が同じですから、「アスラ」はイラン神話にも存在します。
それは最高神アフラ・マズダーです。
正確には、ヴァルナ=アフラ・マズダーです。
アフラ・マズダーは、一説によれば、大日如来、阿弥陀如来の源流とされています。

インド人は、アスラも善神として拝んでいたのですが、やがてイラン神話に対抗し、アスラを悪魔の位置に落してしまいます。

その後、インド神話では、アスラ=悪魔となったようです。
アスラとはアスラ神族という、神々のグループですが、この中のヴァルナをはじめとする有力な神は、デーヴァ神族にしてしまいました。
残りのアスラ神族を悪魔として扱ったのです。

インド神話とイラン神話は源流は同じなので、インド神話におけるデーヴァ神族も、イラン神話にも存在します。
イラン神話ではダエーワと言い、悪神とされています。

インドでは善神でも、イランでは悪神となった阿修羅。
なかなか興味深いところですね。

ギリシャでは、神的な力のことを「Daimon」(ダイモン)と言います。
このDaimonが、悪魔である「Demon」(デーモン)の語源になっています。
デーヴァ、ダエーワと言葉が似ていることから、ギリシャ神話にも関連しているという説もあります。

アスラの源流をアッシリアの最高神アッシュルとする説もあります。

アスラはやがて仏教に取り入れられ、阿修羅となりました。
アスラはアスラ神族という神々のグループでありますから、仏教に取り入れられても、やはり、複数です。

パーリ経典の中には、Ra-hu、Vepacitti、Sambara、Paha-ra-da、Verocana、Baliという5人の阿修羅が描かれています。
その後、大乗仏教においては4人となります。

仏教では、また別の阿修羅にまつわる話があります。(前記参照)
「阿修羅は天の一族でありました。
この阿修羅族には舎脂という娘がいて、これを帝釈天が奪った。
それで、阿修羅と帝釈天は戦争になり、数度の戦いの後、帝釈天が勝った。
それ以来、阿修羅は悪として扱われるようになった。」
という話

帝釈天の起源ですが、これは「インドラ」と言い、トルコ、メソポタミア、インドで信仰されていた神です。

髪や髭が赤く、豪放磊落な性格で酒好きで女好きで、人妻に手を出し、呪いを受けたこともあるそうです。
ですが武に長けていたので、武神として悪に敵対しています。

一方、ゾロアスター教は、善か悪かの二元論ですから、そんな中途半端なことは許さないためゾロアスター教ではインドラは魔王とされています。

悪魔とされてしまった阿修羅も、大乗仏教では正法を守る護法の神として、再び名誉挽回します。

阿修羅はゾロアスター教の最高神、アフラ・マズダと同一であるとします。
アフラ・マズダが阿弥陀如来と同じであれば、阿修羅って、阿弥陀如来になるのではないでしょうか。

複雑な宗教が統合され、神話がいろいろあればこのようなことも起こりえるということでしょうか。
ますます、宗教は難解と言うことでしょうか。

「国宝阿修羅展」のすべてを楽しむ公式ガイドブック (ぴあMOOK) [大型本]

内容紹介
保存版!国宝 阿修羅展の公式ガイドブックが登場!
今年、東京国立博物館 及び九州国立博物館にて、奈良・興福寺創建1300年を記念し、国宝 阿修羅展を開催。
そんな阿修羅展のすべてを楽しむ公式ガイドブックが登場!また、国宝 八部衆像&十大弟子像のイラスト図解も充実の永久保存版です!

魅惑の仏像 阿修羅―奈良・興福寺 (めだかの本) [単行本]

内容(「MARC」データベースより)
阿修羅はもともと鬼神ですが、興福寺にある像は、体も手足も細く長く、美しく調和がとれていると同時に、人々に何かを静かに語りかけてくれるような優しさもみえます。その阿修羅像の魅力を詳しく解説。〈ソフトカバー〉

天平の阿修羅再び―仏像修理40年・松永忠興の仕事 (B&Tブックス) [単行本]
関橋 眞理 (著)

内容(「BOOK」データベースより)
当代随一の仏像修復の技術者団体、財団法人美術院で40年間仏像修理に携わった松永忠興氏。氏が修理や彩色のエキスパートと共に復元模造した阿修羅像をはじめ、現場でしか知りえない仏像たちの姿を語る。

NHK-DVD 阿修羅~天平の謎を追う

内容紹介
1日間で約95万人を集め、東京国立博物館平成館で史上最多動員を記録した「国宝阿修羅展」
天平の美少年と呼ばれる阿修羅像。多くの人々の心を惹き付ける、その表情の魅力に迫る!

●史上初めて、360度あらゆる角度から阿修羅を撮影した映像
●1300年前、阿修羅がいた壮大な空間もコンピューターグラフィックスで再現
●天平彫刻の幻の技法で、実物大の阿修羅を再現。謎めいた3つの表情の秘密に迫る

国宝 阿修羅像

Asura (阿修羅)

阿修羅像の魅力阿修羅像の魅力
阿修羅像の正義阿修羅像の正義
阿修羅と仏陀阿修羅と仏陀
阿修羅の構造阿修羅の構造

仏陀の教え

仏陀の教え

仏陀の教え仏陀の教えは今の時代にどう語りかけているのでしょうか。

仏陀の教えLinkIcon

一日一生仏陀のことば

一日一生仏陀のことば日々の暮らしの中で1日を1生と思って過ごすというのは中々できないことですが、仏陀の教えとともに自分なりに考えていければと思います。

一日一生仏陀のことばLinkIcon